昔は1つの言語を使えるだけで良かったはずなのに……! 

現代社会では、複数の言語が必要

現代社会で生きていくには複数の言語を使えた方が圧倒的に有利ですよね。1つの言語しか使えないと仕事などを中心に色々と不便。

日本人だって学校で英語を勉強させられます。学校で強制的に勉強させるぐらい、英語という外国語が重要になっているということ。

また、国によっては公用語があることも。自分の生まれ育った国の中で暮らしていくだけでも、母語に加えて公用語を学習する必要がある人もいるんですよね。

いやはや、外国語にしろ公用語にしろ現代社会で生きていくには1つの言語が使えるだけでは不十分。なんとも辛い世界になってしまいました……

昔は1つの言語を使えるだけで良かったはず!

考えてみると大昔から今みたいな状況だったはずもありません。昔は1つの言語だけ(just one language)が使えればそれで十分だったでしょう。

江戸時代の寺子屋で英語を勉強したわけがない。江戸時代の日本人は、日本語だけ使えれば大丈夫。

昔は外国との交流が少なかったなので。一般市民が外国語を勉強する必要なんてない。外国語なんて貿易をする商人や外交に関係するようなエリートが使えるだけで問題なし。

日本の一般人は日本語さえ使えればよかったし、ロシア人はロシア語だけ、中東の人はアラビア語だけでよかった。

さらに「公用語」ってのも改めて考えてみると不思議なもんですよねぇ。そもそも、1つの国の中で複数の言語が使われてるって状況が変だと思いません?

普通に考えれば言葉の違いは組織の違いですよ。同じ言葉を使っている人々が集まって国を作るというのが自然な流れでしょう。言葉が違う人々が、1つの国としてまとめられているって方が不自然では?

大昔の原始的な生活を想像してみると、もちろん地域によって言語は違います。しかし、言語が違う人々はお互いに交流できず無理に交流しようとも思わなかったはずです。

言語の違いは文化の違い。文化の違う相手と無理やりに1つの共同体としてまとまる必要なんてなかった。言語の違いに合わせて、それぞれの小さなグループでばらばらに生活していればいい。国というよりも民族・部族という単位でしょうか。

それが近現代になってくると大国に吸収されるような形で、世界中が国という形で分けられていきます。民族・部族という形ではグローバル化していく世界の中で独立を保てなかったわけです。

ここで1つの国の中に言語の違う複数の民族・部族が暮らしているという状況が生まれ、それをまとめるために公用語なんてものが決められるように。

今のような状況は近現代になってから。一部のエリートを除いて、昔の人々は自分たちのグループの中で使われている1つの言葉が使えればそれだけで良かったはずですよ。

1つの言葉が使えるだけでいい、母語を使えればそれでよし。わざわざ他の言語を勉強する必要なんてなし! うらやましい気もしますよ……

グローバル化も悪いことだけじゃない

でもまぁ、今のグローバル化も悪いことばっかりじゃありませんよね。

昔は一般市民が外国語を勉強する必要なんてありませんでしたが、それは一般市民が外国人と交流することなんて出来なかったからです。

船・飛行機と言った物理的な移動手段も未熟でしたし、国際電話・インターネットなどの情報機器もないから交流ができない。

今は外国語を学習する必要がありますが、それは外国人と簡単に交流できるようになったから。外国語さえ使えれば外国に移住することも、日本にいながら外国の情報を集めることもできる!

公用語も似たようなものでは。昔の人々は自分たちの地域の中だけで暮らしていたから、公用語なんていらなかった。逆に言えば閉じた世界の中で暮らすしかなかったということです。

今は、公用語を使えるようになれば自分たちの伝統的な地域を離れて、もっと広い世界の中で活動することが可能に。自分たちとは違う民族・部族の人とも交流できる。

一般人でも複数の言語を学習しないといけない、これは非常に面倒で大変なこと。しかし、それは世界が広がったということであり一般人でも幅広い人々と交流できるようになったということでもある。

こう考えてみれば今のグローバル化も楽しいことでしょう…………公用語・外国語の学習は面倒で大変ですけどね!

まとめ

・昔は1つの言語だけが使えればそれで十分だったはず。今は大変……

・昔は一般市民が外国語を勉強する必要がなかったけど、それは一般市民が外国人と交流できなかったから。

・今は外国語を学習する必要があるけど、それは外国人と簡単に交流可能になった結果!