創作に感情移入は必要なのか? 本当に重要なことは何か考えてみる

物語を作る時、「感情移入できるようにするべき」とよく言われますよね? ちょっと考えてみました!

というわけで、今回のテーマは「感情移入」。元々は現実世界で他人の視点で考えてみることを意味する言葉ですが、最近はフィクション作品について多く使われますよね。英語だとempathize

登場人物に共感できるかどうか、キャラクターと同じ感情になるかどうかってこと。

特に、主人公に感情移入できるかどうかは重要だって言われますよね。感情移入できる作品は良くて、できない作品はダメ。主人公と一緒に喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。そういう作品が良いとされます。

しかし、本当に必要なんでしょうか? 出来ないと、絶対にダメ? 物語を作る人は、嫌になるほど聞く言葉ですよね(笑) ちょっと、意見を書いてみたいと思います。

感情移入しなくても、感情は動くはず

個人的には、絶対に必要というわけではないと思いますね。つまり、「感情移入はできないけど面白い作品」はあるはずってこと。ちょっと証拠を見せましょう! ↓の写真を見てください。

カッパドキア(画像はすべてウィキペディアより)
夜のカッパドキア
グレート・バリア・リーフ
グレート・バリア・リーフ
銀河
銀河系

どれも良い写真です。きれい! すごい! 面白い! って思ったりするのでは? しかし、それって「感情移入したから」ではありませんよね。

花を美しいと思うのは、花に感情移入したからではありません。感情移入しなくても、感情は動きます。

これと同じことが、物語・主人公にも言えると思うんですよ! 単純に見ているだけで、すごいと感じる物語。感情移入はできないけれど、面白いと思える主人公。そういうのはあるはず。

なので、「感情移入は絶対ではない。感情移入が出来なくても、良い作品はある。」というのが私の意見になります。

ただし、理解は必要!

ただーし、注意するべきことがあります。それは「理解できる必要はある」ってこと! 感情移入できない物語はセーフでも、理解できない物語はアウト。

主人公の喜怒哀楽に感情移入できなくても、主人公の喜怒哀楽は理解できないとダメでしょう。「ああ、怒ってるんだな。」「これは主人公にとって悲しいことなのか。」それぐらいは理解できないと。

これが感情移入と混同されてる気がするんですよねぇ。「この主人公には、まったく感情移入できない!」って批判は、「この主人公は、まったく理解できない!」って批判であることが多いのでは?

この2つは微妙に違います。「物語の途中で、性格がどんどん変わる。」「昔に言ってたことと、いま言ってることが全く違う」「言動の因果関係が意味不明」

こういうのは感情移入できないではなく、理解できないと言った方が正確でしょう。

話が破綻している、説明不足で分からない。そういう物語・主人公は流石に評価されにくい。もちろん、奇人・変人キャラってのもありますが、そういう場合は「理解できないキャラであることを、消費者に理解させる必要がある」と言えます。

みなさん、「なぜ物語の主人公は人間が多いのか?」って考えたことがありますか? 当たり前すぎる話だけど「作者も消費者も人間だから」(笑)

つまり言いかえると「人間は、人間のことが1番理解しやすい」って話だと思います。みんな、理解できる話が欲しい。

「4.5次元マシーンと、13平面的ウサギの、幾何学的日常」なんて話があったとしても、理解できませんよね(笑) そして、理解されないと評価されません。そういうことでしょう。

というわけで、制作者の人は「消費者が理解できるように物語を作る、主人公を描写する」これを忘れてはいけないのです! これが結論。

まとめ

・感情移入しなくても感情は動く

・感情移入できなくても面白い作品はあるのでは?

・ただし、理解できない作品はアウト!

 

 

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