城郭の歴史と進化をまとめてみた 

城って、かっこいい! ロマンがあります。城ってのは、地域や時代によって色々と違いがあるんですよ?

というわけで、今回のテーマは「」。戦争の時に防御拠点となる建築物のこと。英語で言えばcastle。この記事では、おもに西洋の城について書いていきます。日本のお城は別の機会に。

さて、ヨーロッパなどでは都市を囲む「城壁」と、戦闘拠点の「城塞」を区別します。「城」という単語の元々の意味は城壁の方ですね。

ただし日本には城壁・城壁都市が少ないために、基本的には城塞の方を意味します。この記事でも城塞の方がメイン。

 

画像で見る城壁と城塞の違い

城壁(この記事の画像は、全てウィキペディアより)

このように、町全体を囲む防御設備が「城壁」。城壁の場合は、中には支配者の住居・普通の民家・店などもあって生活できます。城壁都市はヨーロッパでは古い町の基本的な形式。

城塞

こっちは「城塞」。完全に戦闘用の建築物であり、一般人はいません。武器や食料などが備蓄され、戦闘が長引いても独立して戦闘できるように計画されています。似たような言葉としては、砦・要塞がありますね。

近世の城

こちらは、近世の城。ロマンチック・メルヘンな感じですよね。これは城塞が完全に戦闘用になってしまった結果、王侯貴族の住居が別に必要になったので誕生したもの。

直接的な戦闘は想定されておらず、防御力は高くありません。同じような意味の言葉としては、宮殿・邸宅・豪邸・別荘などでしょうか。お城風の高層豪邸、とでも言うべき?

日本に城壁都市が無い理由?

日本には城壁都市ってありませんよね。少なくとも有名ではありません。色々と理由はあるでしょうが、その1つに日本が島国であったからだと言われています。

地面が続いている大陸国家だと、異民族・他宗教などの強烈な侵略が多数存在しました。街は焼かれ人びとは虐殺されてしまうので、街全体を守る必要があった。

比べて、日本の場合は民族間戦争・宗教間戦争は少ないものでした。有名な戦国時代も、日本国内での内戦ですからね。

国内戦争の場合は支配者さえ倒せば民衆は無駄に殺されることはあまりなかった。同じ民族であり同じ国民なので。その影響で街を守る城壁都市が発達しなかったとされます。

時代による城の変化

ここからは城の歴史について。ひと口に城・城塞と言っても、時代によって変化があるのです!

古代

この時期には「城塞」と呼べる大型建築物はなく、城壁・防壁だけがありました。↑でも書いたように、地中海・ヨーロッパ地域では多くの城壁都市が誕生していきます。

ローマ帝国の国境防衛線は有名ですね。この防衛線は「リメス」と呼ばれ、全長は580㎞! イギリスにある「ハドリアヌスの長城」も、リメスの一部。昔の建築は、スケールが大きいですよねぇ。

↓ハドリアヌスの長城

ただし、古代と言ってもローマ帝国など一部の国には高い土木技術がありました。↓の写真は首都ローマを守るためのアウレリアヌス城壁。

271年から275年かけて建造され、全周19km。厚さ3.5m・高さ8mで、100ローマンフィート (29.6m) ごとに塔があります。

5世紀には高さを倍増させ16mにする改修が行われ、今の姿になっています。すごい立派ですよね。

10世紀

10世紀の中ごろから城郭と呼べるものが出てきます。しかし、初期は簡単なもの。「モット・アンド・ベリー型」が代表的で、これは周辺の土を掘って壕を作ると同時に盛り上げた土の上に建築物を建てる形式。

しかし、単純と言っても防御力を発揮したでしょう。堀で敵を足止めし、上から弓矢などで攻撃。基本的な迎撃パターンはこの時点で実行できるので。

11世紀~12世紀

ここから、本格的な城塞が登場。石造りの高い壁が作れるようになったからです。12世紀後半にはアラブ世界の技術を取り入れた「集中式城塞」が登場!

もう、完全に「城郭」って感じですよね! かっこいい! 集中式城郭は内部が同心円状で、高低差を付けてあるのが特徴。敵に侵入された後も上から攻撃し続けることができる。2段構え・3段構えってわけ。

ただし、この時期にはカタパルト(投石器)も使われるようになってきます。これは城郭の外から大きな石を投げつけて、敵を倒したり城を崩したりする装置。

なので、城の壁はカタパルトに負けないように分厚くなっていきます。攻撃技術の進歩が、城の形状を変えていくことに。

13世紀

この時期に登場した「カーテンウォール式城郭」は、今までよりも合理的な建築だったと言えるでしょう。このタイプの城は、城壁や塔などに隙間を空けてあり中からクロスボウ・弓矢で攻撃できるようになっています。

また、もう1つの特徴は「中心ではなく、城壁そのものを重要視していること」。画像を見ても、中心には大したものはありません。

分厚い壁と、壁の中からの射撃。今までの城と違い、中心部はオマケで外周部が本体。城の中心部なんて敵が入ってくるまでは戦力にならないので、外周部に戦力を集中させるのは合理的ですよね。

↑の集中式城郭は「敵に侵入されても、簡単には負けない!」って考え方でしたが、カーテンウォール式は「そもそも敵を侵入させない!」って感じでしょうか。

しかし、このタイプの城も攻略されるようになる時が来ました。カタパルトを超える威力を持つ兵器、大砲が登場したからです。

近世

14世紀以降の大砲の登場によって、城は再び姿を変えます。高い石壁は大砲によって破壊されるようになってしまいました。

そこで、土を分厚く盛り上げた半地下タイプの城が登場します。分厚い土なら大砲の弾の衝撃も吸収できますから。こうなると城と言うより「要塞」と言った方がイメージに合うでしょう。

これは、「星形要塞」、きれいですよね~。しかし、この形には戦闘における合理性が。外側に対して尖った形にすることで、死角が無くなっています。全ての先端がお互いを援護できる構造!

この時期には剣でなく、銃が戦争の中心に。敵が近づいてきたら左右から撃ちまくったのです。

日本だと、五稜郭も同じタイプ

さてさて、このような要塞タイプになってしまうと完全に戦闘特化です。もはや、王侯貴族が暮らすスペースなんてなし。無駄な建築物を作ったら、すぐに大砲で破壊されるでしょう。

というわけで、この時期から王侯貴族の暮らす城は戦闘用とは別に建築されるように。

住居としての機能がメインなので、美しくて豪華! 権力を示すために高く立派に作られていて、大砲で攻撃されたら簡単に壊れてしまうでしょうね(笑)

この後、大砲の進化と共に星形要塞も衰退していきました。遠距離から大量に撃ち込まれる砲弾には、有効ではなかったのです。砲弾自体も性能が上がって地面に当たると爆発するようになって、防御が難しくなりました。

そして、城郭・要塞はついに最終段階へと変化していきます。

近代

近代では要塞に巨大な固定式砲、いわゆる「要塞砲」が設置されるようになります。巨大建築であることを利用して、相手よりも射程距離の長い大火力兵器を用意した。歩兵なんて、近寄る前に吹き飛ばす! 技術の進歩によって、城郭・要塞も進化!

ただし、この時期になってくると車などによって軍隊の機動力が向上。「要塞をスルーして、敵の町などを攻撃する」という戦法も可能になってきます。いくら頑丈な要塞を作っても無視されては意味がありませんねぇ。

さらに要塞砲なんて使わなくても機関銃だけで歩兵は迎撃できました。なので、地面に幅広い穴を掘ってそこから銃を撃ちまくる「塹壕」が効果的な防御方法として広がります。

なので、要塞の利用場所として重要視されたのが港。港は場所が決まっていますから、ここさえ守っておけば相手の船は近づけません。

さらに、敵の船が近づいてくる前に攻撃するには長い射程を持つ要塞砲が必要だったのです。大砲を詰んだ戦艦を機関銃で沈めるのはさすがに無理なので。

しかし! 第1次世界大戦の頃から航空機が発達していきました。これによって、空からの爆撃が可能に。要塞を攻撃できますし、要塞を完全スルーして敵の町を爆撃することもできる

第二次大戦が終わる頃には、ついに城郭・要塞は役に立たなくなってしまいました……

現代

現代では、要塞は全く建築されていません。航空機のさらなる発達と、超遠距離から精密攻撃できるミサイルが登場したからでしょう。もはや、城郭・要塞なんて作っても意味がない。悲しいですね……

消滅したことも魅力の内

まぁ、こんな感じで城郭&要塞は変化・発展・衰退してきました。その背景には建築技術の進歩と武器の発展があったのです。

でも、城の魅力の1つに「すでに消滅した過去の建築物」ってことがありますよね。現在とは違う「過去」の象徴みたいなイメージが。

かっこいい! すごい! ロマン! だけど、ちょっと寂しい……それが城ってものでしょうか? 戦争の中心が機械兵器ではなく人だった時代の、古き良き巨大建築

まとめ

・「城塞」と「城壁」の2種類がある

・近世以降の城は、戦闘用じゃない

・時代によって城も変化してきた。建築技術と攻撃兵器の進歩が原因

・近世以降は「城」から「要塞」に変化。大砲に負けないため

・近代では要塞に巨大な固定式砲が設置されるように。大砲と要塞の融合!

・現代では、航空機とミサイルの高性能化によって要塞すら役立たずに……

・でも、消えてしまったのも魅力のうちだよね!

 

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