死よりも誕生こそが最大の理不尽である! 決して自分の意思で避けられない

産んでくれと頼んだ覚えはねぇ! 親子ケンカなんかで出てくる言葉だけど、これって真実ですよね?

CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=639618

というわけで、今回は「誕生の理不尽さ」について書いてみますよ~。

死は理不尽なもの

一般的に、もっとも理不尽で決して回避できない問題は「死」だとされている気がします。確かに、死にはとても嫌な性質がある。

①決して回避できない。

不老不死を求めた権力者も多くいましたがみんな失敗。社会を支配できた強い人間でさえ死を恐れ、逃げ切ろうとしたけど無理だった。だれも逃げ切れない。

②自分の意思とは無関係である

死にたくないのに死んでしまう。ある意味で「死に殺される」とも言えるのかも。確かに怖い。

③すべての人に平等

悪い人だけが死ぬってわけではない。まぁ、平等なのは良いことでもありますが。

④突然やってくることがある。タイミングがコントロールできない。

みんな長生きしてから老衰で穏やかに逝けるなら死はそこまで嫌がられないかも? 実際には事故・病気・戦争……現代になっても急に亡くなった話は多い。

⑤不幸と恐怖の原因

昨日までの幸せが死にたたき壊される。↑とも関係するけど、昨日まで元気だった子供が亡くなった事件なんかも聞きますよね。死は不幸を生み出す。

また死は恐怖の源でもある。世の中にはたくさんの恐怖が存在するけど、根本的には「これが原因で死ぬかもしれない」から怖いわけで。人間が不老不死ならば、ほとんどの恐怖はなくなってしまうのでは? 死なないと分かってれば怖くない。

今まで書いてきたような「死」と「死の恐怖」こそが人類にとって最大の問題だった。より詳しくの↓の記事もどうぞ。

人間の悲しさは『死』を認識してしまったこと!
「そのうち自分は死んでしまう」という問題を認識しているくせに、死なない方法を見つけられない。これこそが人間の不幸ですよね~

誕生は死と同じ性質を持ち、さらなる理不尽である

死の特徴。決して回避できず、自分の意思とは無関係で、すべての人に平等であり、突然やってきて、不幸と恐怖の原因である……

これらをよく見てください。すべて当てはまるものがもう1つあると思いませんか? それは「誕生」! 生まれる側にとってだけの話ですけどね。産む方は自分でコントロールできますから。

ここからの誕生の話は、すべて生まれる側の視点だと持ってください。また、ここでいう「誕生」とは無から有になる瞬間を指します。出産という意味ではなく、お腹の中にいる状況でも無から有になってれば誕生しています。人間だけの話でもないですね。

まぁ、とりあえず読み進んでいただければ情報が増えて分かりやすくなってくるはずなので。

さて、誕生には死と同じ理不尽な特徴があります。

決して回避できない。「生まれたくないなぁ。よし、やめとこう!」なんて思った記憶がありますか? ないですよね(笑) 生まれる側は自分の誕生を避けることができません。いきなり無から有になってしまう。

自分の意思とは無関係である。産む方は、産むにしろ堕ろすにしろ自分の意思で行動することが可能。しかし、生まれる側は自分の誕生について何の影響力も決定権もない。「生まれたいな!」と思って生まれる人はいません。

すべての人に平等である。そりゃそうです、みんな産まれたから生きている。生きている人はみんな誰かに産まれたわけで。

突然やってくる。生まれる赤ちゃん側にとっては突然でしょう。ふと気づいたら「自分」という存在が発生している。無から有になっている。

不幸と恐怖の原因である。すべての幸福と不幸は生きているから感じるもの。生まれてこなければ幸福は無いけど不幸と恐怖も無い。そして、死は生まれた後の最大の問題だけど、そもそも生まれてこなければ死なないんですよ。

死の不幸と恐怖は、誕生によって作られたものだとも言える。死は誕生の副産物。

いかがでしょうか。死は理不尽だけど、誕生だって理不尽である。生命の始まりも終わりも決して自分の意思で回避できない。人生は大変なものですねぇ。

ここから先は、さらに誕生の理不尽を掘り下げていきます。

産んでくれと頼んだ覚えはねぇ!

「産んでくれと頼んだ覚えはねぇ!」、親子ケンカで出てくるセリフ。でも真実ですよね。みなさん、「産んでくれ!」と頼んだ覚えがありますか? 私にはありません(笑)

親は子供の許可も得ずに、勝手に誕生させてきます。強制的にゲームスタート。幸せな人生だったらいいけど不幸だったらどうしてくれるのか?

もちろん自分の人生は自分でコントロールできるけど、スタートは親が勝手に始める。理不尽でしょう。

そして、ゲーム終了(=死)も強制。強制的に始まって強制的に終わる。なんという理不尽なゲームなのか!

死は回避できるかもしれないが、誕生は回避できない

不老不死・超越的存在、人間はそういうものにあこがれて多くの想像を作り出してきました。吸血鬼や神などなど。

また現実でも科学によって死を克服できる可能性は0%ではないかも。医療技術はすごい勢いで発展しています。

死なない存在、人間が不老不死になる。「死」というのは空想上であれば簡単に無効化できるし、現実的にも克服できる可能性があるのです。

しかし「誕生」は絶対に回避できません。死なない存在はあっても、誕生していない存在はありえない。なぜなら存在している時点で誕生しているから。吸血鬼も神も誕生したからこそ存在する。

また、人間は自分の誕生を決して回避できない。どれだけ技術が進んだとしても。科学が進歩しても、けっきょく決定権を持っているのは「産む側」であり生まれる側には何の力もなし。「産んでくれと頼んだ覚えはねぇ!」問題は永遠に解決されない(笑)

死は不平等かもしれない。死なない可能性はある。誕生こそが真の平等なのです。

決して自分の誕生はコントロールできない。全知全能であっても。

自分の誕生は回避できない。そして、決してコントロールすることもできません。

死は多少のコントロールはできます。1番分かりやすいのは「自殺」でしょう。自分の意思で死ぬ時間と場所をコントロールしている。

しかし、「自誕」って言葉はありません。誕生とは無から有になること。誕生する前=無。だから無の段階では何もできないわけで。なんたって無ですから思考も行動もない。

これは全知全能の神様であっても同じ。他のすべてをコントロールできたとしても「自分の誕生」には何もできない。

なぜなら、誕生する前は無だから。全知全能になるのは生まれた後の話。もちろん全知全能なら過去に干渉できるでしょう。しかし、過去を変えられるのは誕生したからであり誕生そのものを回避できているわけではない。

「自分の誕生を取り消す」というのを言い換えれば「自殺」であり、誕生そのものはコントロール不可能。

全知全能の存在であっても、誕生の理不尽からは逃れられない。そう思うと親近感がわいてきますね! けっきょくは「いつの間にか生まれちゃってた」のは同じ。お仲間お仲間(笑)

無→アメーバ

無→人間

無→全知全能の存在

これらの誕生に本質的な違いはないってこと。みんな、気付いたら存在していただけ。「お前はすでに死んでいる」の逆、「お前はすでに生まれている」ところでしょうか。

まとめ

・誕生と死は同じ特徴を持っている。決して回避できず、自分の意思とは無関係で、すべての人に平等であり、突然やってきて、不幸と恐怖の原因である……

・そもそも生まれてこなければ死なない。

・死なない存在はありえるかもしれないが、誕生していない存在はありえない。

・全知全能であっても自分の誕生はコントロール不可能。生まれる前は無であり思考も行動もできないから。

これらの点から、死よりも「自分の誕生」こそがどんな存在にも回避できないしコントロールも不可能な真に平等である究極絶対の理不尽なのです。

こうやって考えてみると、不老不死の存在をそんなにうらやましく思う必要はないのかもしれませんね。彼らは死を回避できていますが、もっとも重大な「誕生の理不尽さ」は我々と共有しているわけですから。